鉄パイプの中にあるもの
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鉄パイプの中にあるもの
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About me
このルームは純喫茶堤下ルーム(堤下建設仮想会社)の支援ルームです。
「堤下建設員100人化計画」という大義を果たすために生み出された名も無きルームの一つです。
【なぜ建設員100人を目指すのか】
堤下敦の心に寄り添い集う仲間たちを総称して堤下建設員と呼んでいます。建設員を増やしたい理由は、1枠15万ptの1週間100万ptとか安定したポイントの獲得が理由ではありません。
建設員100人を達成することで、堤下敦さんの時間と活動の選択肢をさらに拡げることが出来ます。何よりも、支持者や仲間達を増やしていくことで、機会損失している現状を打開し、みんなが楽しめる機会を(そこに参加するための負担をより少なく)増やしていけるということです。
それが結果的に「純喫茶堤下」ルームを長く存続していけることにも繋がります。
大切なものを存続させるには、飽きや諦め、方針転換という挫折のささやきに打ち勝つための進化が必要となります。いまを守るためには変化を受け入れていく必要があり、現時点で掲げるべき目標が建設員100人ということになります。
また、これから建設員になられる皆さまにおかれては、堤下敦さんを中心としたコミニティの中で、これまでの人生に、更なる楽しみに満ちた体験と人との出会いを足すことで(こんな事をしたら建設員のみんなが哀しむ、喜んでくれる、楽しんでくれるを普段の日常に活かすことで)、毎日が楽しく張り合いのある日々が迎えられる事を願っています。
【鉄パイプの誕生経緯】
私は行動経済学の勉強を兼ねて、SHOWROOM前田社長のすべての人にエンターテイメントの機会格差を無くす展望とその行く末に興味があり、2017年9月にスマホにSHOWROOMアプリをインストールし、いくつかの配信者ルームでイベント支援をしてきました。
しかしその当時は、殆どの配信者がSHOWROOMのイベントで獲得出来る特典だけに夢を持ち、配信がただただ手段化し、配信中はカウントや星・ギフトに対する「ありがとう」のお礼を聞き続けるといった、せっかく用意された自己表現を発信できる空間を無駄にしている配信ルームが多く、SHOWROOM全体に期待を下回る行動経済原理が生まれてしまったことに嫌気がさしていた中、2019年2月23日に「純喫茶堤下」ルームに出会いました。
今でこそ、配信の中に自分の企画を盛り込む配信者が現れ、エンターテイメントの可能性が拡りつつありますが、当時の「純喫茶堤下」ルームは、配信者とリスナーの独特な掛け合いやリスナーが主役化する場面もあり、みんなで作り上げるエンターテイメントとして、他の配信ルームと比べて異質で、期待が持てる雰囲気がありました。
私は、そんな「純喫茶堤下」ルームのリスナーとして繰り広げられるエンターテイメントを一歩引いた目線でしばらく見ていましたが、たまたま堤下敦さんが出演する舞台が始まるということで、些細な気持ちの勢いで観に行くことにしました。
そして、2019年5月2日の舞台初日鑑賞の時に出会ったリスナーの方々は皆さん魅力的な個性が輝いていて、この人達と描ける未来の可能性を感じました。
その日から、私はまずはルーム内の立ち位置を確立する為自分のブランディング計画を開始し、SWOT分析により、40代/サラリーマン/ダジャレ好き/お調子者というキャラクターを確立するという結論に至りました。結論が出たら迷うことは一切無くなり、理想とするキャラクター像を想い描きながら突き進んでいけました。
そんな私に呼応して堤下敦さんから鉄パイプというアバター名を以下の履歴で名付けて頂けた事もあり、(映画MATRIX公開を機に街中をサングラスと黒づくめで珍走するという、あの思い出の1ページから18年間も愛着を持って使用してきた)「ねお」というハンドルネームを捨てることもでき、生まれ変わった気分で新しいキャラクターが確立できたところです。
しかし結局のところ、なぜ鉄パイプという名前になったのかについては私のあずかり知らないところであります。
(アバター名変更歴)
ねお☠️
→ ねお☠️@堤下建設 鉄パイプ
→ 鉄パイプ☠️ @堤下建設 ねお
→ 鉄パイプ☠️ @堤下建設 空間クリエイター
→ 鉄パイプ☠️ @堤下建設 海苔巻き
→ 鉄パイプ☠️ @堤下建設 海苔巻亭 Fe
→ 少食☠ @堤下建設 海苔巻亭 Fe
(寿司の大食い大会に負けて1ヶ月名前変更)
→ 鉄パイプ☠️ @堤下建設 海苔巻亭 Fe
→ 鉄パイプ☠️@堤下建設OZ
【海苔巻亭一門について】
海苔巻亭一門に関する情報にいては、これからも門外不出の仕来たりで受け継がれていく伝統芸能のため、情報開示出来ないことをご理解くださいますようよろしくお願いします。
【リバサイについて】
リバサイとは「変化を自らが受け入れ、人を幸せにすること」です。
人生とは川の流れのように時間が過ぎていきます。
ひとときも留まることはなく、その流れは大きな海へと繋がっています。
過去の失敗や過ちを挫折として留まるのではなく、経験という糧として未来を進んでいくという諸行無常の精神を表しています。
例え過去に過ちがあり、それによって制限された未来を想像してしまうとその過去は挫折となりますが、飛躍した未来を想像すればその過去は経験という糧となります。
しかし、過去の挑戦や挫折、経験の数は未来には関係ありません。また、未来を正確に予想することも出来ません。必要なのは、変化に適応することと、自ら望ましい変化を創り出していくことです。
つまり、リバサイとはその変化を自らが受け入れ、人を幸せにすることです。厳密にいうと、人/手段/情報/環境の変化に反発することなく適合し、信頼を得ながら信用を重ねることで、身近な人から順に1人でも多くの人を幸せにすることです。
♪美空ひばりさんの「川の流れのように」を聴きながら、再度このリバサイへの思いに深けていただき、純喫茶堤下ルームに訪れるのもまた楽しいかと思います。
(リバサイという意味のない言葉に深みを与えようとしているこの行為もまた、リバサイということです)
【人生はコントだ】
一生許さない、この絆は永遠、絶対成し遂げたい夢がある。
このような約束や覚悟は実は脆弱です。ちょっとした出来事やきっかけで約束や覚悟はゆらぐものです。
それは生物が変化し続けなければ生き残れない進化論の原理原則です。それと同時に人間は機械ではないため、自分に制約のある未来を望みません。
これまで生きてきた中で一生や絶対をかけた約束や覚悟が何か正確に記憶できている人が少ないことがそれを裏付けています。
人間は自分の中で納得できる結論で、きれいに句点が付いて笑っていたい論理思考なのです。そこにあるのは矛盾だらけの現実です。大切な結婚相手、恋人、友達に素直に大切であること、好きである気持ちを表現出来ず、心のすれ違いを生むのも自分が納得できる結論を探している試行錯誤です。
その論理はお笑いコントの発想と同じです。
つまり、「人生はコント」です。
もっと気楽に、でも、相当な準備と希望を持って望むべき舞台、それが現実です。
準備や心が整っていない状態を現実逃避と呼ぶと思います。
純喫茶堤下ルームにおいても、気は楽に、でも1回1回の配信がかけがえのない思い出や体験の連続となることを切に願っています。
【国や社会のありかた】
国や社会は人の集まりです。
人が集まるところには社会が生まれます。明確になっていなくとも暗黙のルールがあります。人が豊かさを感じるためには、国や社会のルールに従い、国や社会に貢献する事で、はじめて豊かさを体感することができます。
また、すべての国や社会のルールや制度は常に完璧な状態ではないため、不都合が生じた場合は、しっかり話し合ってルールや制度を変えることができます。
しかし、人の感情は人それぞれ感じ方が違うため、統一的なルールや制度に1人1人の感情を組み入れることはできません。
国や社会はそこに集まる人達の1人1人が協力し合う必要があります。
純喫茶堤下ルームも同様に皆様1人1人のご協力をお願い致します。
【自分以外は皆先生】
勝負事や夢を叶える時に私が心がけていることは、誰かに勝つことではなく、自分に負けないこと。
自分の忍耐や理想に負けるような自分に誰かに勝つなんておこがましいと、考えています。
そういう意味では、自分以外の誰かをそもそも敵だとも考えても居ないのかもしれません。
自分が少しサボりたくなった時に、これじゃいけないと襟を正してくれる人、自分では考えたことも無い発想や視点で活躍している人、自分の代わりに失敗をして学びを与えてくれる人、すべては自分を育ててくれる先生達。
話は少し反れますが、私は25歳の時に父親を亡くしています。
私は高校時代から始まった親への反抗期が長かったため、父親とちゃんと会話した機会等は記憶の限りは一度もなく、はじめて父親に自分の意思で声をかけたのは、目の前で心臓の止まった父親を見た時です。
本当に大切なものを大切に出来ていなかった日常に悔いを持っています。
自分のくだらない意地やプライドを守り、大切な人を裏切る行為は、いつの日か後悔します。
それでも記憶や思い出と共にいつまでも生き続けると信じ、その父親から与えてもらった想いを自分からまた子供や他の人へと紡ぐことが出来れば、少しは父親への悔いが和らぎ、私の生きた証にもなるのかなとも考えています。
そしてその、私が生きた証を解説し思いを紡いでくれるのは私と接点のある人達全員です。
だからこそ、私にとって接点のある人達は全員大切な存在の先生達です。当然、私という人間を構築する血や肉となっているのも接点のある人達からの学びです。
いつも心に先生達への感謝を忘れないよう、自分を律して歩み、人生を楽しみます。
ちなみに、私が学生時代に生徒から人気のあった国語教師の美奈先生に特別な感情を抱いているわけではありません。
【非承認欲求について】
鉄パイプのキャラクターは誕生経緯に記載した流れで生まれましたが、実はこのキャラクターは普段の仕事に依存していた部分があります。
私は普段の仕事では、個性の強いプロジェクトメンバーを纏めたり、路頭に迷わないように皆のゴールを明確に方針を掲げる役目があり、比較的皆から怖がられ、顔色をうかがわれている暴君みたいな感じのため、私が求める以上に承認欲求が満たされ過ぎています。
私も人間なので、たくさん間違うこともあります。より良い結果を出すため、別案だったり、否定意見が本当は欲しいのですが、私が言うことがすべて正しいみたいな雰囲気になってしまい、それが私にとっては常に間違えも許されないプレッシャーになっており、誰か否定や指摘をしてほしい(非承認欲求)が溜まっていた部分があります。
また、元々ドMな人間なのに、誰からも叩かれない虚しさのようなものもあったので、私が言ったことを否定してくれる意見は本当に嬉しいです。
ただ、それによって他の人を傷付けたくないため、私だけが標的になるようにするにはどうしたら良いのかいつも迷いながらやっている感じがあります。
海苔巻亭一門ができた後は、攻撃対象になりやすいチームになるため、守れなかった人もいたりして、他の一門生の心の傷にならないように心配な気持ちが大きくなっています。
【正義は生モノ】
社会は毎日変化しています。私が小学生の頃は、原付スクーターはヘルメットをかぶらずに2人乗りしても違反にはならず、雑誌の文通相手募集コーナーで読者の名前と住所を掲載しているのも当たり前の景色でしたし、社会人になった2000年頃も、インターネット掲示板に投稿する際は、自分のメールアドレスを記載するのは利用者のマナーでした。
社会や文化の発展と過去の教訓と共に、正義の在り方も常に変わっていくため、絶対正義は存在しません。
今、正しいものは、明日正しいとは限りません。
そのため、正論を武器に人を責めると、いつかは必ず矛盾という壁にぶつかり、生モノが腐るように自分のお腹を壊します。
また、正義に反する意見を尊重できなかったり、物事が思い通りにいかないなぁと思っている時には、大概の場合、自分に合わせて他人を変えようとしている可能性があります。
他人を尊重して自分が変わり、その変化の渦を他人が「良いね!」ってパクっていってもらう思想に切り替えていく形が理想だと思います。
自分の正義に反することや、今の社会は誰が創り出しているのか?の答えは簡単で、自分自身です。正義なんてものを作らなければ、悪も生まれません。
正義とは、他人に求めるものではなく、他人のために自分を律する制約や制限である事は明らかです。
人のせいにしない、他人や友達・仲間を大事にする。大切なことはすべて子供の頃に既に学んでいることです。
時代の変化に合わせて、正義も自分も変わっていく勇気を持とう!です。
大切なことなのでもう一度言いますが、正義は生モノなので、正義を掲げて変わらず行動していると、いつかは腐る、です。
【現在のエンターテイメントの位置付けについて】
これまでのエンターテイメントは、日常の喧騒や雑踏を忘れて息抜きをするためのツールのようなものでしたが、現在のエンターテイメントはひとりひとりの日常をさらに輝かせたり、張り合いを持たせるものになっています。
簡単にいうとエンターテイメントの存在意義が、非日常から日常に変わっています。
なので、現実逃避を助長するようなエンターテイメントではなく、ひとりひとりの現実社会という舞台がより華やかになるような、毎日の仕事や学校、家事、衣食住に活かせるエンターテイメントである必要があります。
観た人の今の生活に適用できたり、その後の生活に希望が持てるような形を描いていきたいですね。
私はこれからの人材育成の形を模索するためにエンターテイメントを学ばさせて頂いています。
(以降現在執筆中)
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Recommendation
ややたん
なげーよ。